音楽家の医師になろうと思った

医師として音楽家の治療をしよう―そう思ったのは、医学部学生時代です。
私は1973年から79年まで、山形大学医学部で学び、その間にピアノを国立音楽大学教授の児玉邦夫先生にご指導いただきました。
ピアノを演奏する才能はサッパリありませんでしたので、下手の横好きで日々練習しているだけでしたが、児玉先生は辛抱強く私にピアノをどう弾くべきかを教えてくださいました。留学時代に師事したウィルヘルム・ケンプやバドゥラ・スコダ、ハンス・グラーフなどのピアニストの興味深いエピソードも聞くことができました。
先生の奥様の幸子先生もピアニストで、お二人でデュオを組んで連弾を専門に演奏され、海外でもたびたびコンサートをされていました。
先生のご自宅は花小金井にあり、ヨーロッパふうの家にグランドピアノを二台ならべたレッスン室が二つありました。そこでご夫妻が各々レッスンをされ、部屋の間仕切りを開けて四台のピアノでリハーサルをすることもありました。
幸子先生が長野県茅野市の出身だったことから、蓼科に別荘があり、そこにもグランドピアノが二台あって、ともかくお二人の生活はどこでも音楽がいっぱい溢れていました。
うらやましい人生があるものだ、とご夫妻の活躍ぶりを遠くから見ていました。
私は医師として、何とか音楽家の世界にかかわりたいと思っていましたが、当時米山文明という耳鼻咽喉科の先生が、国際的な声楽家の治療で有名でした。
山形市内にも高坂知甫(たかさか ともすけ)という先生が耳鼻咽喉科診療所を開設されており、山形フィルハーモニーというアマチュア・オーケストラを創設したことで知られていました。高坂先生は山形大学教育学部で非常勤講師として教鞭をとられていたそうで、同学部の友人から紹介しようかと声をかけられたのですが、結局実現しないままに終わりました。ただ一度だけ、山形フィルハーモニーのたしか創立25周年コンサートで、高坂先生が最前列でチェロを演奏する姿を見たことがあります。この時聞いたカリニコフの交響曲第一番は、その後私の愛聴曲のひとつになりました。
(高坂知甫先生については、ご子息で東北大名誉教授の髙坂知節先生がインタビューで語られています:https://onlyone-mgt.jp/2023/11/8871/)
私はピアノが大好きで、毎日ショパンやベートーヴェン、シューマン、ブラームスなどのピアノ曲三昧の生活を送っていましたから、耳鼻科医として声楽家を診る気にはなれませんでした。
すると児玉先生が「音楽家の間で手の腱鞘炎が問題になっている。みんな表立って言わないだけで、舞台裏では手の痛みに苦労している演奏家が多い、是非こうした音楽家を治療する医師になってはどうか」とおっしゃったのです。
これが音楽家を診る医師になる私のスタートポイントになりました。

児玉邦夫(右)・幸子ご夫妻

\ 最新情報をチェック /